ピアノの話。

去年の6月に急に思い立ってデジタルピアノを我が家に迎えて以来、12月の初め頃まではほぼ毎日「たとえ10分でも」ピアノに向かっておりましたが、年末のあわただしさの中で…と言い訳をしても始まりませぬが…なかなか時間を見つけられないまま今年の6月頃までほとんど何もしないままの日々が続いてしまいまして。

6月は、筆者にとってはあれやこれやが一段落する時のようですわね、またぼつぼつとピアノに向かう時間を重ねるようになり、去年始めた教則ほんの最初からおさらいをしてみたのですが。

半年続いた後半年のブランクでは、一からやり直しか、と思われましたがそうでもないようですわ、勘を少しずつ取り戻したり、始めた頃よりは少し余裕を持って同じ曲を弾いてみるうちに、去年よりはほんの少しだけ「上達」したのかしら、などと思われることがあったりしまして。

やはり、バッハ。当初、できることならバッハが弾いてみたい、と始めたピアノ、「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」の新しい曲に進んだりしまして、まだ一曲も「モノ」にはなっていないにもかかわらず。

去年、この曲集に収められている中で練習していた曲は、J.S. バッハの作品かどうかわからないあるいは(大)バッハ以外の作曲になるものばかりでしたが、目下「フランス組曲」…これらはまず間違いなく大バッハの作品…に含まれているBWV814のメヌエットとトリオが少しずつ音楽になってきているような気がいたしますわ、完成までには一体いつまでかかることやら、と先が見通せないにもかかわらず。

動画サイトには、錚々たるピアニストから素人さんまでインヴェンションの各曲の演奏を視聴することができますわね、同じ曲が、ひとによってこんなにも様々に変化するものか、と興味は尽きませぬが。

で。この先は、とついつい目が移ってしまいまして、インヴェンションですわ。無料でDLできるサイトから試しにNo.1を手に入れてパソコンのモニター画面上で眺めているうちに、とりあえず、印刷してみよう、次にはピアノに向かってみよう、と指番号も何も書かれていない楽譜をデジピ(デジタルピアノ)の譜面台において、電源を入れて…。

指が全くついて行きませぬが。ともかくも頭の中では音が鳴っておりまして、細かい音符や休符の一つひとつにまで緊張感と晴れやかさがみなぎっているような感じがいたしますわ。

一番(No.1)は多分弾くには一番易しい曲なのでしょうが、これがきれいに弾けたら、素敵でしょうねぇ、などと。

当面は右手と左手に分けてそれぞれ楽譜を憶える(暗譜する)ことと、右手だけ、左手だけで鍵盤に向かうことと、それらを一切放り出して両手で合わせてみることをできるだけ毎日繰り返してみようかしらん。

目下、楽譜を初めて見ていると、左手の後半部分が全く筆者のアタマには入りそうにありませぬ、何というか、次のフレーズがどんな風に始まるのか見当がつかない、というような感じで。

しばらくの間は、それこそ台所に楽譜を持ち込んで…本ではなく、ネット上からコピー用紙に印刷したので背後の冷蔵庫にマグネットで止めて…暗譜に専念できそうですわね、常に頭の中にNo.1が鳴っているという精神衛生上非常にいい時間を過ごせるかも、などと。

なるべく早く、二声(Inventio・インヴェンション)と三声(Sinfonia・シンフォニア)の15曲ずつ計30曲が一冊になっていて指番号や解説が付いているような楽譜を手に入れませぬと。

バッハの「インヴェンション」について、ご興味のある方はたとえば:

バッハ:インヴェンション、平均律曲集

バッハ : 3声のインヴェンション(シンフォニア)

「演奏を具体的にI(バッハ インヴェンション第一番)」

等々のサイトを。

話、変わって。

8/30の衆院選で政権交代が実現し、今日16日に鳩山内閣が発足しましたわね。社会の様々な「ゆがみ」を直していく方向に進んで欲しいと思いますが、まずは情報公開を一番に期待したいと思いますわ。

初めて政権が交代するわけですから、しばらくの間は試行錯誤のための(猶予)期間が必要だと思うのですが、何が起きても、何をしてもすぐに批判や中傷に走る輩はゴマンと居そうですわねぇ、一人の市民としては、まずは日々を大切に過ごすことぐらいしかできそうにありませんわ、この国が、ここで暮らす誰にとっても当たり前の普通の日々が積み重ねられる国であって欲しい、日本国籍を持つ者にとっても、そうでない人々にとっても、などと。


昨日11月22日は…いい(1、1)夫婦(2、2)の日だったのですわね…筆者にとっては、電子ピアノが我が家に届いて5ヶ月が経ったことになりまして。

もう5ヶ月、という気がいたしますわ、十月の半ば頃から今月半ばにかけての約ひと月間は仕事だの、「趣味の菜園」だのと時間をとられることがずいぶん多く、10/22からのひと月間でピアノに向かうことのできなかった日が三日や四日ではなかったような気が。

最初はゆっくり音を拾っていた曲が少しずつ原曲に近いテンポで弾くことができるようになると、今弾いているところに全神経が集中してしまって、次のフレーズを弾くには、という余裕がなかなかありませぬ、ということは、もう少し鍵盤というものに頭も手も慣れる必要があるということなのでしょうねぇ。目下、頭が曲についていっていないような気がいたしますわ。

ブルクミュラーの『25の練習曲』…「スティリエンヌ(La Styrienne)」まで…とバッハの『アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集』…メヌエットBWV113、マルシュBWV124が加わって…を相変わらず続けてはおりますが、指の練習用ともう一種類の教則本のどちらも三冊目を求めようと思いながらもなかなか。

あるサイトのポイントに別のサイトのポイントを足し、ポケット・マネーを少々足して注文した二冊、『バーナム・ピアノテクニック(3)』と『おとなのためのピアノ教本(3)』が11/18にやっと届き、さっそく鍵盤に向かってみまして。この『おとなの…』はバイエル後半以降、ブルクミュラー程度という難易度の目安がついていて、ちょうどいいのかも、最初の三曲、「ホフマンの舟歌」まではあまり難しさを感じないで進めてしまいまして。

ということは、滞りがちのピアノも、しばらく前に比べれば少しは上達しているのかしらん、などと。

目先が変わるというのはいいことのようですわね、新しい二冊が届き、以前からの曲集も新しい発見をしながら少しずつ楽しんでいきましょう、などと。


そういえば今日は22日、我が家に電子ピアノが来て丸4ヶ月経った日だというのに、鍵盤に触れることができないようですわ、今日を入れるとこれまでにそういう日は二日しかありませぬのに…毎日練習がいまだに続いておりまして、少々びっくりしておりますわ、筆者はそんなに根気がよかったかしら、などと。

バッハの「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」のメヌエットばかり5曲、(BWV 114、115、116、132、841)、息子(C.P.E.Bach)の作曲のマルシュ(英語式ならマーチ)1曲(BWV 122)、ミュゼット1曲(BWV 126)、をその日の気分であちらの曲、こちらの曲、と。

バッハならぬクリスティアン・ペツォールト作曲だったというメヌエット・ト長調(BWV 114)がやはり馴染みもあり毎日一度は弾いているかも。作曲者不明ということになっているBWV 132は、テンポをゆっくり目に取るとなぜか異常に感情移入をしてしまったりしまして、おかしな曲になっていることでしょう。

しばらく「ブルクミュラー 25の練習曲」から遠ざかり勝ちになってしまっておりますが、それでも少しずつ先へ進んで、一応は13曲目の「Consolation(なぐさめ) 」まで、以前飛ばした「La Gracieuse(優雅な人) 」も何とかなってきたかな、と。途中で止まったり間違えたりはもちろんしますが、しばらく弾いていない曲を楽譜を見ながら弾くとなかなかスリルがあるもので、こういうことを繰り返すうちに少しずつ初見のレベルが上がっるかも、などと調子のいいことを思ったりしまして。

最初、バッハはとんでもなく時間もかかり、難しいかと思いましたけれど、少しずつ両手がばらばらのメロディーを弾くことに慣れてきたかも、などと。

約ひと月前に「おとなのためのピアノ教本(2)」を終えてしまいまして。引き続き3冊目に入ってもいいかな、と思いながら、まだ手に入れておりませぬ、どちらかというと目下、あれこれとしなければならないことが目白押しなので。


「三日、三月、三年」続けば、それ以降も続くもの、などというようですわね、と書きかけて、「三日三月三年」を少々調べてみる気になりまして。

曰く、「何事も三日我慢すれば三月もち、三月辛抱すれば三年耐えられるという、 修業に際しての精神論として」…まあ普通はこういう意味に解するものだと思いますが

他に、こんなのも出てきました:「会社に入社して、退職を考える時期として多い入社してからの年数です」入社して三日経ち、自分は向いていないのではないか、三ヶ月経って新人研修も終わり、会社についていけるだろうか、三年経ち、こちらは様々な理由があるものでしょうか。

三日、三月、三年経ったところで、それ以降も続くのか続かないのか、両方の場合あり、ということは、たかだか趣味で始めたことならば、好きなだけ続ければよしとすることにしまして…今のところ、新しい興味が次々にわいてきて止めそうにはありませぬが。

電子ピアノが我が家に来て三ヶ月経ち、一向に飽きる気配はありませぬし、何より、弾いたあとで気分がすっかり変わるのが爽快ですわ、弾けても弾けなくても、先生について習っているわけではないので次のレッスンまでにどの曲を弾けるようにしなければ、などというようなストレスも全くありませんので。

今月の初めにも一つ記事を書いた気がしますが、その後、「おとなのためのピアノ教本(2)」を一通り終え、「おとなの…(3)」へ進もうかな、と。「バーナム・ピアノテクニック2」 、「ブルクミュラー 25の練習曲」は12曲目 "L’adieu(「お別れ」、「さよなら」、原語の仏語は、二度と会うことのない別れの挨拶に使う言葉)"、バッハ「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」のつまみ食いは6曲を少しずつまとまり始めた曲、まだまだの曲など様々。

バッハ「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」が加わったころから(?)あろうことか肩が凝るようになり、珍しいこともあるものだと。筆者は普通、頭痛・肩こり・腰痛にはほとんど縁がないので。

試みに椅子を少し引いて弾くようにしてみたら、以前よりもずっと指が動かしやすく感じ、いつの間にか肩こりも治ってしまったようで、姿勢とか指の構え方に気を配らないと音を出すこと以上に体の負担を増やすことになるものか、と実感。何といっても教えてくださる方のいない筆者なので、なおさら。

手や指が硬くなったことに気がつきまして。外見は以前と変わらず、指が太くなったとか細くなったということはないのですが、手を洗うときなどに手が硬くしまってきたかな、と。

想像するに、たとえ遊びにせよ毎日鍵盤を弾く動作を繰り返すうちに、指や掌の筋肉が鍛えられたということなのかしらん。オバサンになっても、筋肉は鍛えればそれなりの効果が出てくるものらしいですわよ。

目下 「早弾き」ができない…これは、たかだか3ヶ月ではどうしようもないことでしょうから、少しずつ指を鍛えて動くようにしていくしか。

話替わって。

そういえば、9/15に蒔いた法蓮草とニンジン、19日には法蓮草の、20日にはニンジンの発芽が始まりまして。

当地では秋雨前線と台風13号による雨がまだ降らないうちに芽が出始めたので…風雨が強いと、ニンジンの種は流れてしまってうまく芽が出ないだろう、と…朝夕に水遣りの必要はありましたが、芽が出ればあとは何とかなるものですから。

夕方薄暗くなった頃の自転車での帰り道、我が家から5kmほど離れたまちの中心地では、街路樹に外来種のアオマツムシが鳴いていまして。ずいぶんけたたましい大きな鳴き声ですね、多分間近で聞いたのは初めてだと思いまして。

アオマツムシの声は、あたりの街灯がしだいにまばらになり、薄暗くなるにつれて…我が家に近づくにつれて…よりおとなしやかなカンタンや(ヤマノ)ウマオイや、キリギリスや、幾種類ものコオロギの声に変わり、外来種は鳴く虫の声までも大柄で強くたくましすぎるものなのかしらん、などと。

今年はランの作柄がなかなかよくて、洋ランのシンビジウムには「たくさん」の花芽がつき、東洋ランの寒蘭にも花芽が出て育ちつつあり、さらには来年の5月に咲く金稜辺にも花芽が見えてきまして。

11月には寒蘭、年内にはシャコバサボテン、年明け頃(?)にはシンビジウムやカランコエと、寒い時期に屋内で咲いてくれる(だろう)鉢物が目下楽しみですわ。

シャコバサボテンの「ホワイト・ベル」、数日前の記事ではまだつぼみとしっかり確認できないと書きましたが、その後、針とはいわないまでも楊枝の先でつついたような小さな白いつぼみが見えてきまして。どうやら咲きそうですわね、ふた品種とも。

カランコエ、5つの小鉢のうち、少なくとも3つにはつぼみの房らしいものが見えてきたような、ちがうような。もう少しこちらだけは短日処理を続けることにしようかしらん。


ピアノの話の続き。

前回の記事で、まず、我が家に来た楽器はコルグのSP-250というパイプの足が付いた電子ピアノで、最初に取り寄せてみた教則本は、「おとなのためのピアノ教本(1) 」(以下、教則本のリンクは全て "amazon.jp" へ)橋本 晃一編集と「バーナム ピアノテクニック1」、などということを「書いていませんでしたわね」などと書きながら、話がそれてしまいましたわね。

「おとなの…」は楽譜の読み方から解説してあり、独習用としても使うことができるように工夫されていておとなになってからピアノを始めようというかたがたに人気があるようですわ。「バーナム」は指の訓練用に試しに使ってみようというわけで、どちらの教則本も、楽器さえも実物を見ずに注文するといういささか軽率かもしれない買い方をしてしまいまして。

届いたこの三つ、まずは期待はずれではなかったということを。

指の練習用にと求めてみた「バーナム」は12曲の短い曲が一つのグループになっていて、一冊目には5グループまであり、最初から両手で弾くような曲が並んでいまして。最初歩用にはまだ他にも同じ著者の教則本があるのですが、まあいいかな、と。ン十年前に一年だけにせよオルガンを習った時には、一応両手で弾くところまで達していたのだし、何とか時間はかかってもこのあたりから始めればいいかな、と。

その第一グループの一曲目が弾けませんでしたわ。十六分音符で左右の手で一オクターブ違いの同じ音を「ドレミファソファミレ、ドレミファソファミレ、ド~」という部分が、左右の音がばらけてしまって。二曲目は一度でうまくいったのに、などと。できるものあり、できないものありなので、この先毎日繰り返すうちには何とかなっていくことを期待して、などと。

教則本のもう一方、「おとなの…」の一冊目は、一週間ぐらいで終えてしまいまして。続きが5冊目まであり、さらに同じようなシリーズのものが数冊あるのですが、同じ編者の、「おとなのためのピアノ教本(2) 」を次に求めようとして、ついでに「バーナム」の2冊目も、とまたネット注文しようとしたところ、とある本屋さんの¥3500分のギフト券なるものをいただけることになり、「おとな…(2)」があればそのまま「バーナム2」とともに注文しただろうと思われるのですが、「おとな…(2)」がなくて、とすれば他のどんな??ということになってしまいまして。

もしもピアノを弾くならば、バッハをひも解いてみたいなどと思う筆者は、どちらかというとショパンやベートーベンにあこがれることはあまりなくて…あくまでも自分で弾くならば…ここでバロック方面の易しい曲集を求めるとすれば、ロマン派の方面へ向かうことがずっと先に、というよりはなかなかそういう気にはなりそうもないな、という考えが浮かびまして。

自分で好きなように進めれば…むしろ続ければ…いい筆者のピアノなのだから、最初からちょいと寄り道をしてみようかしら、とロマン派の時代のブルククミュラーの「25の練習曲」を求めてみようという気になってしまいまして。

例の本屋さんのサイトに当たると、「ブルクミュラー 25の練習曲」と「バーナム ピアノテクニック2」ならば手に入るというので。

「バーナム」は一冊目をそのまま続けることにして、「ブルクミュラー」を最初の曲から順番にやっていくうちに、4、5曲目まで来たころだったか、次第に「これでいいのかしらん?」と思い始めまして。

ひとつには、どちらかといえば自由に弾こうと思えば弾けてしまうようなロマン派の作風が少々「鼻についてきた」のと、一応楽譜の音を拾える曲が増えてきたのはいいとして、何か今ひとつ違和感を感じるというのと。

そうこうしているうちに仕事上の出張の途上で、楽器屋さんが目に入ったので立ち寄ってみると「おとな…2」があり、求めることにしまして。このシリーズはどちらかというとポピュラーピアノへの入り口用に、などと。

そのうち、この「おとな…2」が残り少なくなりかかったころ、とあるサイトのポイントがたまり、楽譜集が一冊ぐらいなら買える…ならば、次はバッハを「持っていよう」、などと。「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」を注文しまして。

さて、今日から9月ですわね。バッハはところどころつまみ食い、ブルクミュラーは続け、「おとな…」はあまり進まず、「バーナム」は二冊目に入り、という状況ですわ。

一曲を一応完成させてから次の曲に進むというより、そろそろできかかったかな、というころに次の曲をつまみ食いし、相変わらず前に練習した曲へ戻り、何曲も抱え込んでいるという変なやり方ながら、一日抜けたほかは毎日ピアノに向かう日々が続いていますわ。何をどうやっても、全て何かの足しになる、というつもりで。

約ひと月と一週間ほど続けてきた「ブルクミュラー 25…」は9曲目の "La gracieuse(「優美」「優雅な人」)" が今ひとつ「ようわからん」…楽譜が読めないのではなく、ネット上の模範演奏を聴いても、今ひとつ曲想をつかみ切れない、どうもこの曲はあまり好きではないわねぇ、ということになり、

その次の9曲目 "La chasse(「狩り」)" は、狩りの描写そのままにホルンの音がしたり、馬か猟犬の疾走の描写が出てきたりでなかなか場面場面がつながらないものの何とかなるのに、などと。

そして、例の「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」をほんの少し覗いてみたりしまして。

「メヌエット BWV116」の音を拾いながら、ついでにメヌエット・ト長調BWV114」とか115とか113の音も拾ってみたりしまして。

他には、と楽譜をぱらぱらめくってみても、J.S. バッハ作曲とはっきりしている作品はどれも手に余るというより、手も足も出ない難しいものばかり。その中で、BWV814のメヌエット(『フランス組曲 第3番 ロ短調』の第四曲のメヌエット、ピアノ演奏は例えばこちら)を右手だけで音を拾っては美しいわねぇ、と。

この曲は黒鍵を多用していて、右手のみで音を拾うだけでもなかなか骨が折れ、左手は音を探すのが大仕事、左右の手で同時に弾いてみるなどいったいいつのことやら、目下のところ。

筆者にとってのピアノは、その日に練習した曲が如何に弾けなくとも、長い期間かかってもさっぱり完成しない曲があろうとも、しばらく鍵盤に向かったあとは気分がすっかり入れ替わったようになり、精神衛生上非常によさそうですわ。このあたりは人によるものかも。


ピアノをおとなになってから始めて、弾けるようになるのかしらん、と半信半疑ながら半ば衝動的に電子ピアノを我が家に迎えたのが6/22ですからかれこれ丸ふた月経ったわけですが。

拙稿6/29付け「一週間経ちまして」にも、7/12付け「明日で3週間」にも書かなかったことがいくつか。

ピアノを弾くといっても何を? ということを書いていませんでしたわね。

どんなに易しい小品でも練習曲でも何でもいいから、バッハ(J.B. Bach)が自ら書いた譜面を弾いてみたい、初心者用に易しくアレンジしたものではなくて

ということを思ったのですよ。

だいたい、楽器が手元にない段階で「指が動くのかしらん」といささか懐疑的だった筆者にとって、それでもポップスやイージー・リスニングではなく、子ども時代、ピアノを習っていた友達が四苦八苦しながら練習している姿を見ていたこともあるのだし、たとえピアノを弾かなくてもプロのピアニストが弾く「インヴェンション」を楽譜を見ながら聴いたことがないわけではなく、あんなに複雑なものをいとも簡単にではなかったのかどうか、いくつも作り出したようなひとのものを「できるわけない」かどうかを初めから決め付けないのが大胆というか。

高校を卒業してからは音楽からしだいに遠ざかり、音楽といえばあまり視ないテレビのBGMぐらいしか聴く機会がないといってもいいような生活になってしまいまして。

日々遠ざかる音楽の様々なジャンルの中で、聴く機会は少なくなっても J. S. BACH は、時折思い出したように聴くほとんど唯一のものに。

縁あって、アラブ・イスラム圏で二年間仕事をしながら暮らすことが決まったとき、たった一枚持っていったCDは、カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の入ったもので、この147番の第10曲のコラール「主よ、人の望みの喜びよ(リンク先はmp3形式で、イギリス・Brighton School Choirsによるものです)」が聴きたいために。穏健な国とはいえ、イスラム教徒のど真ん中でキリスト教の宗教音楽のCDが手に入らないかもしれないと思ったので。

今でもこのCDは手元にありますわ、たった一枚持っていく音楽として選んだのがバッハだったとおり、少々思い入れがありすぎるかも。

で。あるサイトで溜まったポイントに別のサイトで溜まったポイントを移したら、そのバッハが二人目の奥さんのアンナ・マグダレーナに贈った…このあたりについて「創作」風に経緯を紹介しているサイトがありますわ、ご興味のある方はどうぞ…といわれる「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」が手に入る金額になっていることを発見しまして。

ならば、と注文してしまいました。その「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳(帖)」などとも訳されるこの楽譜が今日届きましたわ。

ポピュラーの方で「ラヴァーズ・コンチェルト」としても有名な「バッハのメヌエット・ト長調 BWV.Anh.114」(曲としては、「ソ~ドレミファソドド、ラ~ファソラシドドド、…」と聞こえる)、(「メヌエット・へ長調 BWV Anh.113」)「メヌエット・ト短調 BWV.Anh.115」は、同時代のかれの友人のペツォールト(Christian Petzold、1677-1733)の作品であるというのが今日の定説になっていることを、ピアノを弾こう!などと思い立ってあれこれと調べ始めるまでまったく知りませんでしたわ。

で、この「小曲集」のどの曲なら現時点の筆者にも手が出せそうかしら…小学一年生が中学生向きの本を読むようなものであることは百も承知の上で…と順番に譜面を見ていくと、どこかで聴いたことのある曲がずいぶんあるのねぇ、と。

ペツォールト以外にも、この曲集には大バッハの息子たちや友人の作品が混じり、しばしば作曲者不明のものもある…現存している楽譜に作曲者の名まえの記述がないということなのでしょうが…というのだし、どれでもいいか、と。作曲者は不明ながら、何となく面白そうで聴いたことのある「メヌエット・ト長調 BWV Anh.116」あたりを最初はごくゆっくり始めたらどうかしらん、などと。

それにしても。試しに鍵盤に向かってみると、両手の指を目いっぱい開いてやっとフレーズの連なりに届くあたりが、「ブルクミュラー25の練習曲」とは多いにちがうわね、と。「ブルクミュラー」は子どもの小さな手に配慮してあるといわれるのが今更ながらよくわかるような気がいたしましたわ。とはいうものの、YOU TUBEなどで、小学校低学年ぐらいのお子さまがかなり難しいはずのバッハの小品を実に上手に弾いておられるのを見ることができますわね。

思わず空想してしまいまして、人間の左右の手の指が五本ではなく六本だったなら、鍵盤楽器の音楽はどんなにきらびやかになっていたかしら、などと。

いずれにしても、金額はさほど高いものではないにせよ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(ドイツ語ではセバスティアンではなくゼバスティアンと発音されるはずですわ)の作品が、まだまだピアノが弾けもしない筆者の手元にあるというのは何とも恐れ多くも勿体ない話ですわ。

明日で3週間

2008/07/12


我が家に電子ピアノが来て、明日で3週間になりますわ。

三日三月三年…ものごとを三日続けることができれば三ヶ月、三年と続いていくものというような意味で言われることばでしょうか。

この言葉の中に、三週間という期間はありませんけれど、我が家に楽器が届いた6/22から一日も欠かさずピアノの電源を入れ、気がつくと少なくとも小一時間は何がしかの「練習」をしていることに気がついたりしまして。

ピアノを始めるのはいいとして、ただでさえ忙しい日常の中に時間が見つかるかどうかが一番気になっていたのですが、何とかなるものかもしれませんわね、好きなことならば、あるいは好きなことであるが故に。

最初に求めた全く初めて始める人のための教則本のうちの片方は終わりに近づいたかな…今後も折に触れて繰り返すつもりですが…と思い始めた矢先、とある本屋さんの「オンライン・クーポン」が¥3500分もいただけることになり教則本の続きをネット注文しようとして、在庫のあるなし等々諸般の事情により、難しすぎないかしら、大丈夫かしらんと半ば思いながらも「ブルクミュラー25の練習曲」なるものを注文してしまいまして。あれこれサーチ・エンジンに相談すると、大昔ピアノを習っていた友達や従姉妹(いとこ)が弾いていたかもしれない曲名をいくつか思い出すことができたりしまして:「アラベスク」「タランテラ」等。

アラベスクが弾けるのぉ??すぐにはきっと無理にちがいない、等々。

隣町にあるこの本屋さんの支店に届くような手続をして、今日時間ができたので受け取りに行ってきまして。

果たして「アラベスク」はあの「アラベスク」でしたわ:ラシドシラ、ラシドレミ、レミファソラ、ラシドレミ… 懐かしいとおっしゃる方もおられるかも、昔弾いた、などと。

この曲は、筆者が子どもの頃にずいぶんあちこちで聞かされたようで、ほとんど一曲全て憶えているのですよ、楽譜が書けるぐらいに。

小さい頃から、筆者はメロディーその他を憶えるとドレミで歌えたり、楽器で弾くことができたりしましたが、この曲は「ラ」から始まっているということは、家にあった古いオルガンでも何でも、音を拾ってでもいれば、あるいは…。

ピアノ、我が家に来て以来、ピアノが「ある」、真夜中でも、気が向けば弾けると思うだけでも何かものすごくいい気分転換になっていて、こういうものを触っている限り少なくとも筆者はたとえば鬱病などにはなりそうもない気がいたしますわ。ピアノに限らず、ひとによってはジョギングだったり、釣りだったり、読書だったり、編み物だったり、お金儲けだったり、パチンコだったりするのでしょうか。

この、メクラ滅法な、いつまで続くのかわからないような独り言を、今までこの「くーろのBLOG」で、カテゴリー「趣味」に主に分類してきた園芸関係の記事とごっちゃになってしまいそうなので、新しくカテゴリー「音を友に」を設け、遡って分類しなおすことにしました。カテゴリーには、記事は少ないものの「音楽」というのもあるのですが、こちらは筆者の中では全くちがう分類項目なのでございまして。