昨日の未明に "Zero Limits — the Secret Hawaiian System for Wealth, Health, Peace, and More, by Joe Vitale & Ihaleakala Hew len, ph D"  を読了。

本のカバーにそれぞれの章を読み終えた日付をメモしておきましたが、読み始めは去年の10/25だから、たった238ページ(正味232ページ)しかないこの本をなんと半年もかけて読んだことになるのですわねぇ。

内容は、どの章を開いても同じことを様々な形で繰り返しているように思えて、長い中断の日々のあとでもひとたびしおりを挟んだところを開けばすぐに思い出すことができたので、すでに読んだところに何が書いてあったのかを思い出せないというような不都合はあまり感じなかったような。

手元にあった紙でカバーを作ったせいもあり、この本の厚みがコタツでうたた寝をする時の枕にちょうどよく、いつも手元において重宝していたりもしまして。枕としてのこの本は、今後も当分手放せそうにありませぬ。

閑話休題。

それにしても、アイルランドで開かれていたクラスター爆弾(禁止)条約を5/30に日本も同意したことが、当然とは思うのだけれども、よかったな、と。

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本が届く

2007/10/23


二つのサイトで偶然見かけた本が気になり、あちら(楽…)とこちら(A…)で価格を比較してみて、こちら(A…)で衝動買いをすることにしまして(10/9)。

10/13~18に発送予定とあり、我が家に届くのは少し先のことだとそのまま放っておいたところ、先週の中ごろになっても、待てど暮らせど音沙汰なし。

いくら何でも、と再度確認メールから申し込んだサイトに飛ぶと「発送済み」とあり、音沙汰はないけれども事態は進行しているらしいと、成り行きに任せることに。というより、差し当たって自分にできることはありませんわね。

郵政民営化を10/1に迎えて以来、当地の郵便物はその日にもよりますけれども15:00過ぎから遅いときには17:00頃になることもあるこの頃、「趣味の菜園」に出ていたら薄暗くなりかかった頃にいつものバイク音がしたので郵便受けへ行ってみまして。

黄色い見慣れないぶ厚い、封を開けた跡のある封書が一通入っておりまして。封を開けてみると、「プチプチ」が内側に貼ってあり、その中に本が一冊。やっと届いた、と。本のタイトルは:

Zero Limits: The Secret Hawaiian System for Wealth, Health, Peace, and More  by Joe Vitale, Ihaleakala Hew, Ph.d. Len

この本の内容に関連してサーチ・エンジンに相談してみると "Ho’oponopono" という言葉が出てきてみたり。オカルトか、新興宗教か、あるいはすばらしい英知なのかしらん。

Ho’oponopono (ホオポノポノ)というハワイ語の意味として "to make right, to rectify an error" とあり、ハワイの伝統的な癒し、病気を治し、思いや感情を解き放ち、あらゆる関係に調和を取り戻す、集団交渉の際に用いられてきた手段である、などという説明があってみたり。

少なくとも、夕日を見つめながら、その日の怒り、憎しみなどを夕日とともに海に沈め、自分や相手を許そう、というハワイの人々のものの考え方がおおもとにある、ということも出てまいりますわね。

"I love you"  "I’m sorry" の二つの言葉を自分に向かって言うと、およそ世の中や自分に起こる問題が解決していく??

ハワイのみならず、日本でもこの"Ho’oponopono" を学ぶ講座が行われ、予約がいっぱいになっているのだそう(筆者は受講してみようとは今のところあまり思いませぬが)。

9日に見たサイトには、この本の教えによって稲を食い荒らしに来るイノシシを撃退したとか、ガンを克服した方がおられるなどという体験談が紹介されていました。いったいこの本にはどんなことが書いてあるのかしらん、と少々興味をそそられまして。

それにしても、いったいいつ、どんな時間を見つけて読むのでしょうねぇ。


この「くーろのBLOG」も三年目に入っております。カテゴリーはその時々の記事の内容を書いたときの気分によって決めるようなところがあり、カテゴリー「本」に必ずしも分類されているわけではないのがややこしいところですが、とりあえずは「本」に分類されている記事の中に掲載した本のうち、全てではないかもしれませんが「ブック リスト」に挙げてみました。

今まで、あまり熱心に本について書いたことはないような気もいたしますし、読んでいる本について必ずしも記事を書いたわけでもないと思うのですが。

筆者は昔はよく本を読んだ方だと思いますが、最近はあまり読むこともなくなり、本を買うこともなくなっておりますがそれにしても気の向くままに書いた記事で取り上げた本はずいぶんあれこれの分野に飛んでいるものですわね。

以後、「くーろのBLOG」で取り上げる本は、リストに載せてみようと思っております。ご興味のある方は、amazon のその本のサイトへ飛びますのでどうぞ。

                                            」 12/5 記

図書館へ

2006/01/11


この項は、昨日1/10のできごと。日付変更線を越してしまいましたわ。
 
平成の大合併に伴って、最初はこのあたりの「郡」に属する自治体すべてが合併して一つの「市」になるというハナシだったのが、一つ抜け、二つ抜けして、それでも最近合併して一つの「市」が誕生しまして。
 
この地域の図書館として、いままで同じ郡内のほかのまちのものを利用しておりました。わたしが住むまちのものは「図書室」と名まえがついている通りあまり蔵書数が多くありませんので。で、その「図書館」のあるまちは、合併して新しい「市」になってしまいましたが、私の住むまちは、当初の合併協議会から抜けて、独立独歩を貫くことになりました。
 
で、いまでは新しくできた「市」に属してしまった図書館が元のとおり利用できるのかしら、と少々案じながら、先日1/5に、身分証明になる書類を持って12月の終わりから借りていた本を返しにいきました。図書館員の方に問い合わせたところ、従来どおりもとの「郡」内に住むか通勤・通学している人は利用できるということで、新しい「図書館利用カード」を発行してもらいました。
 
1/5は、年末・年始の休館日のあけた日で、カード書き換えの利用者でごった返していて、新しい本を借りてくることが出来ませんでした。私達にも時間がなかったので。
 

そして今日10日になって、ふたたび時間が出来たので図書館へ行き、本を借りてきました。

 『ゲド戦記(1)  影との戦い』
 『ゲド戦記(2) こわれた腕輪』
 そして、日本にいるフランス人が書いた鍋料理の本(これは楽しみ!)

『ゲド戦記』シリーズは、まだ小学生の頃からその存在が気になりながら、今まで一度も手にしたことのない本でした。始めの数ページを読んだだけですが、作者の想像上の土地というより、エーゲ海かフィリピン諸島辺りのようなたくさんの島々からなる土地の、ゲドという魔法使いの冒険物語のようですな。
 
またまた子ども向けの本ですわね、わたしがここへ書くのは。ちなみに、暮れに借りていた本はフランスの哲学書でございました(この本については何も書かない)。
 
この『ゲド戦記』は最近、あのジブリの新作に取り上げられるというのが話題になっていますよね。宮崎駿氏の御長男が監督をされるということで。ジブリの作品ができる前に大急ぎで読んでしまいたいというところが本音でして。
 
アメリカ人のアーシュラ・クローバー・ル=グウィン (Ursula Kroeber Le Guin、1929~)の作品で、1968年から2001年にかけて出版され、全6巻なのだそう。
 
アメリカ人の作品なら、原作で読みたいところ。この図書館にはないでしょうから、今度県立図書館へ行ったら探してみようかしら。県図書なら、ネットで検索できるのですわ。あとで探してみましょうかしら。


なんでも、編集者が、作者の同意を得て絶版にしたというので、復刻は難しいというんですが、私はどうもこの物語(絵本)のことが忘れられないもんですから。

『あふりかのたいこ』  瀬田 貞二 作 のことです。

絶版の理由として、「アフリカの植民地支配を否定する意図をもって」いるというんですが、そういうことよりももっとちがったことを、当時小学一年生くらいだった私は読み取って、教科書に出ていたにもかかわらず ― あんまりこのあたりを詳しく言うと、年がバレルじゃないか 、そんなことより、得てして教科書に載っている作品は面白くないのが多い、という偏見を持っておりますので― その後も折にふれ、今に至るまで、本屋さんや図書館で見かけると、必ずと言っていいほど手に取って、立ち読みをしてきた本なんですけどね。確かに、年齢が上がるにつれて、その「植民地についてのモンダイ」にも気がつくようになりましたが、それとは別に大昔の感動はそのまま今に至るまで持続していて、私のごく深いところで今も影響を与えてくれている本だと思っているもんですから。

アフリカの植民地へ来た(白)人は、動物たちを、つのや牙や毛皮やはく製にするために狩をするんですが、初めのうちは彼を手伝っていた現地の人々は、意志を伝え合うことができる自慢のたいこを使って連絡し合い、動物達を隠し始めるんですね。

そして、この物語の終わりには、こんなフレーズをみんなで合唱するのではなかったかしら:

いのちの水を飲んで、いのちに目をさませ

この物語の作者の瀬田貞二さんという方は、ほかに『三びきのやぎのがらがらどん』や、なんと、J.R.R. トールキン 『指輪物語』や、最近ディズニーが映画化することに決まった C.S. ルイス 『ナルニア国物語』の翻訳者でもあるんですね。

何を言い出したかというと、日付を調べてみたら10/3のことでしたが、ヘレン・バンナーマン 『ちびくろサンボ』が復刻されるという報道記事を読んだからだと思います。

『ちびくろサンボ』は、子ども時代から個人的にはあまり好きな話ではなかったけれど、サンボが「黒人差別を助長する」などとはさらさら思われなくて、元気のいい、賢い少年サンボが、トラたちに上着も、ズボンも、傘も、靴も取られてしまったけれど取り返すことができ、上等のバターがたくさん手に入ってよかった!くらいには思ったでしょう。ずっと後に、確かに少し問題だといえば問題かもしれないな、でも、そんなに目くじらを立てなくても…とも思ってましたねぇ。

むしろ、そういう問題があるというならば、子どもたちにきちんと伝えて、どう考えるかを聞いてみたら?やわらかい頭と心で、彼らはこのことについても、そして、もっと他のことについても感じ取ってくれるものがあると思うのは私だけかしらん?

なんだか、私が「本」について書くときはいつも、子ども向けの本ばかりだというのは、いったい???

 

 

Harry、5冊目

2005/02/14


「不死鳥の騎士団」というのですね、邦訳のタイトルは。

"Harry Potter and the Order of the Phoenix"のペーパーバック版は、870ページもあるんですが。

留守にしている間、時間を見つけては少しずつ読み進めてだんだん面白くなってきたところでございます。まだ半分も読めておりませんが。ただいまやっと第18章の途中(p.384)でございます。

家に帰る途中でも、時間を見つけて読み進めようと思っておりましたが、いざ家に着いてみるとそれこそ時間は全然見つからなくて、まだ1ページも進んでおりません。しかしながら、たとえ一行でも先へ進まないと永久に読めませんわねぇ。何とか頑張って暇を見つけたいと思っております。

英語自体は、元々子ども達の読むものですからさほど難しくありませんし、何といっても5冊目ともなると、ハナシの勝手が分かってきて、読みやすくなってくるものですものね。

みどりのゆび

2004/12/25


Tistou les pouces verts
auteur: Maurice Druon
みどりのゆび 岩波少年文庫  モーリス・ドリュオン 安東 次男 訳   

  
大昔、まだ現役のこども時代に、何かの書評で「みどりのゆび」という児童文学作品について読んだことがあったのだが、何だったのだろう、と思い出して、サーチエンジンに相談したりしましたら、思い出しました。

私はこの本を読んだことは一度もなさそうなのですが、作者がフランス人の、モーリス・ドリュオンであること、主人公が「チト少年」であること、現在岩波少年文庫で読むことができること、さらに作者について、原作についてなど、一通りの情報が集まってくるにつれ、翻訳でも何でもいいので読んでみたくなり、自治体の図書館にあることもネットで検索してみたら分かったので、さっそく出掛けたついでに借りてきてしまいました。

 こんなHPもありました。

いきなり何を言い出したかというと、しばらく前の記事にいただいたコメントで、「みどりのゆび」という表現について思い出したからです。

植物を育てたり、花を咲かせることの上手な人のことを「緑の指を持っている」と言うのだそうですね。そして、少なくともフランスの作家が書いた『みどりのゆび』という児童文学が今も読み継がれていることと、原題を見ると「ゆび」と言われているのは「親指」であることを今回初めて知りました。英語や他のヨーロッパの言語と同じく、フランス語でも手には一本の「親指」と四本の「指」があることになっていて、日本語のように五本の指があるわけではないのです。

作品『みどりのゆび』の中では、緑の指を持った主人公の少年チト(あるいはティストゥ)は、花を咲かせることで争いをやめさせ、人々に希望を与えることができましたが、決して逃れられないものがあり、何をもってしてもそれを免れることはできないことを知ったときに、決して戻らない旅に出かけてしまうのですが…。

それにしても、イギリスの児童文学の世界とはずいぶん異なった広がりや味わいが。フランスの児童文学にはあるものですね。海峡一つ隔てただけでも、言葉は違い、文化もちがい、習慣も違いますから。