なんやかやと

2007/04/28


何から、と迷うことですが。ここのところ、忙しくてものをまとめることができにくくて。

列車内でレイプ事件が起きている間、乗客が何もしなかった・できなかったことについて、あれやこれやといわれているけれどもその場に実際に居合わせたわけではない第三者が、ことが起きた後でなら何でも言えるともいえるかもしれない。二度とおきてはならない、起きて欲しくない、起こしてはならない事件だけれども、もしそういう場に居合わせたら、自分ならどうするか、何ができるのかを考えてみることは意味があるかもしれない。容疑者が一番悪いのだということをしっかり確認しておくことにする。

ロシアのボリス・エリツィン元大統領が亡くなり、葬儀に日本の要人が誰一人参列しなかったのが、実際のテレビ中継を見ていてとても気になっていたのだけれど、大使以外はやはり誰も行かなかったらしい(毎日新聞、関連記事1)、と。何でそうなるの?と。エリツィン氏は、第二次大戦後に日本兵をシベリア抑留したことについて、来日時に公式に謝罪したひとでしたわね。弔問外交という実質的な利益の他に、自国民に対して誠意を示したひとに対して弔意を表すということができない、軽薄な日本人??

何か、最近の日本人は世界に対してあまりにも内向きになりすぎているのではないのかしら、と。

戦時中の強制連行と慰安婦問題について、4/27に出た最高裁の判決(毎日新聞、関連記事2)。強制的に連れて来られ、奴隷のような労働をさせられた方々、亡くなられた方々がどのくらいおられたのかについての正確な数はわかっていないという。まるで動物のような扱いだという気がする。最高裁は、かれらの過酷な状況については認めているのに。慰安婦にさせられていた当時から今に至る長い人生において、もし慰安婦にさせられなかったらあったであろう普通の、当たり前の人生を送ることができないできた、取り返しのつかない境遇にあったことについては認めているのに、その一人ひとりの被害者について、相手の国に補償を求めることはできないと。原爆の被害者たち…ヒバクシャという国際語になった…は、原爆を落としたアメリカに対して補償を求められないし、アメリカ人は「戦争を早く終わらせるために使った」などという論理で、その後60年以上に渡り、次やその次の世代にまで影響を及ぼしている後遺症に対する補償を求めることができないということは不当ではないのか、と。戦争などの無法地帯の混乱の中で被った被害は、相手が国の場合はやられ損だということ。

(自衛隊を「国際平和」のために「集団的自衛権」の行使ができるようにする、などというけれども、自衛隊が武力行使をするとすれば、武器の向こうにいる相手はとりもなおさずナマ身の人間であり、当然家族や友人がいて、当然命はひとつしかないのも我々と同じことだということをどれだけ身にしみて感じているのか、と。戦後60年以上にわたって幸いにも日本人はよその国のひとを国家(この場合国=軍)としては一人も殺めずに済んできたのに?)

ヤスクニ問題について、フランス人に対してフランス語で講義をしたひと(東大教授、高橋哲哉氏)の講義録「『靖国問題』講演抄録」(の邦訳)が「ル・モンド・ディプロマティーク」に出ている。この講義を聞いたフランス人たちの中には、少なくとも日本にも「一般的(国外の人々が一般的に持っていると思われる第二次世界大戦に対する)」な認識を持っている日本人がいることを理解してくれたのではないかしらん。

関連記事1および2を、web上で読めなくなるかもしれないので以下に全文掲載します。

関連記事1:エリツィン葬儀:「要人派遣せず」に与野党から批判

 23日死去したロシアのエリツィン前大統領の葬儀に、日本政府が要人を派遣しなかったことが波紋を広げている。葬儀には米国のブッシュ元大統領、クリントン前大統領ら各国の元首級の要人が参列したが、日本からは現地の斎藤泰雄駐露大使。麻生太郎外相は27日の衆院外務委員会などで「間に合う飛行機がなかった」と釈明したが、不発に終わった「弔問外交」に、与野党から政府の機動力不足を指摘する声が出ている。

 「日露関係の緊密化のためには、大使よりもハイレベルな特使の派遣が必要だったのではないか」。公明党の丸谷佳織衆院議員は同日の衆院外務委で、斎藤大使を出席させた政府の対応を批判。民主党の武正公一衆院議員も衆院テロ防止・イラク支援特別委員会で同様の批判を展開した。

 25日の葬儀にはクリントン、ブッシュ両氏のほか、各国からケーラー独大統領、メージャー前英首相ら多くの要人が参列した。

 麻生外相は答弁で(1)ロシアから「各国代表団の公式招待はしない」と表明があった(2)葬儀の通報を受けたのは24日午前で、商用機では葬儀に間に合う便がなかった--と強調。対露外交の重鎮・森喜朗元首相の派遣も検討したが「チャーター便の手続きが間に合わなかった」とし、「数十人乗りの小さなチャーター便で(緊急の海外出張に)行ける(体制)というのを、今後考えるべきではないか」と述べた。

 だが、隣の韓国は韓明淑(ハンミョンスク)前首相が死去の報と同時にモスクワに飛び、葬儀に間に合った。丸谷氏に「すぐ弔問に行くことは考えられる」とただされた麻生外相は「亡くなったと同時に(特使を)送っておけば、こんな(大使出席という)ことにならなかった。反省の一つ」と答えた。エリツィン氏の死去発表直後(24日未明)に出されたのが麻生外相の談話だけで、安倍晋三首相のコメントが出なかったことにも、外務省内などから疑問の声が出ている。

 外国要人の葬儀を巡っては05年4月、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀に小泉純一郎首相(当時)の特使として川口順子首相補佐官(同)が出席。葬儀にはブッシュ米大統領やブレア英首相ら、世界180を超える国・地域から元首・首脳級の要人が参列しており、首相が出席しなかったことが国内で問題視された。【中田卓二】

毎日新聞 2007年4月28日 3時00分

関連記事2:慰安婦訴訟:中国人女性2人の賠償請求を棄却 最高裁
横断幕と原告の写真を持ち第2次慰安婦訴訟の最高裁判決に臨む弁護団と傍聴希望の支援者=東京都千代田区隼町で27日午後1時31分、塩入正夫撮影

 第二次世界大戦中に旧日本兵に暴行されたとして、中国人女性2人(1人は故人)が日本政府に賠償を求めた「慰安婦」訴訟で、最高裁第1小法廷(才口千晴裁判長)は27日、原告側の上告を棄却した。判決は、暴行被害を事実と認定した2審の判断を支持し「苦痛は極めて大きかった」と指摘する一方、同日午前の強制連行訴訟の第2小法廷判決と同様に「日中共同声明により裁判で賠償を請求することは出来なくなった」と述べた。

 最高裁は同日、中国から強制連行され戦後13年間、逃亡生活を送った故・劉連仁さんが国に賠償を求めた訴訟(1審原告勝訴、2審で逆転敗訴)▽福岡県の炭鉱に強制連行された中国人男性15人が国と企業に賠償を求めた訴訟(同)▽中国人元慰安婦4人が国に賠償を求めた訴訟(1、2審とも原告敗訴)--の3件で、原告側の上告を棄却する決定を出した。【木戸哲】

毎日新聞 2007年4月27日 20時44分

ほかにも

2007/03/10


従軍慰安婦、南京大虐殺と、旧日本軍が行ったとされる犯罪行為が問題にされている。筆者は、この両者とも「あった」という意見を持っているし、日本の、被害者に対する国としての謝罪や償いがどうやらあいまいにされてきたような気がするし、残念なことだと思っている。

が。62年前に終わった戦争は、その数さえわかっていないほどの多数の市民が巻き添えをくらい、犠牲になった。従軍慰安婦にされた女性たち、南京で殺害されたといわれている多くの人々、ほかにも、重慶の町などを日本軍は空爆(=飛行機の上にいる人からの視点で表現すると「空爆」、地上にいる人の視点で表現すると「空襲」でしょうに)したといわれている。犠牲になった人々は普通の市民が圧倒的に多かったのではないだろうか。

民間人には手を出さないというほとんど架空ともいっていいような戦争の際の「作法」はどの紛争・戦争・内戦状態でも同じように敵味方共に守られることは難しく、犠牲者は戦闘体勢にある、武器を持った兵士ばかりではなく、負傷したり船や飛行機が難破したりして遭難して闘うことのできなくなった(捕虜になりそうな)兵士や、無法状態・軍のやりたい放題に巻き込まれた市民たち、無差別攻撃に晒された市民たちであったことをよく思い出すことにするとすれば。

62年前に終わった戦争において、日本人の戦没者は300万人にのぼるという数字があるらしい。全国のまちを空襲され、原爆を落とされ、シベリアに抑留され、あるいは海上に難破して浮いているところを慰み半分に狙い撃ちされた兵士たち、軍の作戦の足手まといになるからと避難していたところを追い出され、あるいは植民地にしていた今はよその国になっている土地から引き上げる途中様々な困難の中で亡くなっていった人々等々が、数えられないほどたくさんの市民たちが。 兵士たちとて、戦場に駆り立てられた元市民たち。

日本軍の過ちとされている従軍慰安婦・南京大虐殺のことばかり言う前に、これら、ひとつの県の県民が丸ごとなくなってしまうほどの戦没者のうち、多くの市民が犠牲になったことについて、無辜の市民に対する全国の町々への無差別爆撃であった空襲に対する謝罪を求めることは、現在の日本の政治家たちはしないのだろうか。

「ヒバクシャ」は国際的に通用する言葉になっているけれど、かれらは核兵器被害者だったのだし、日本人の中に、従軍慰安婦・南京大虐殺という事項に対して拒絶反応を示すのと同じような苛立ちを広島ばかりか長崎への二度もの原爆投下について、アメリカ人の中にあらわす人々がいることを思い出しておくことにしてみる。二度の原爆投下は、大量破壊兵器の使用だったのだし、無差別大量殺戮だったのだし、戦争犯罪ではないのか。公式の謝罪を求めてもいいことではないのか、とも。

捕虜を長期間抑留して奴隷のような扱いをし、犠牲者がずいぶん出たシベリア抑留も犯罪ではないのか、と。

そして、この62年前に終わった戦争で世界中で亡くなった市民の数がどんな数字であるにせよ、一人ひとり、みな夢や希望や利害や虚栄心や、クセや楽しみや長所・短所を持った個性溢れる個人であったことに思いを向けてみる。今、今日のこのときにも紛争・戦争・内戦状態に置かれている人々がいることにも。

日本は、サンフランシスコ講和条約において、賠償を求めないと。おカネが欲しいのではなく、無辜の市民を殺戮したのは、連合国側も敗戦国側も同じ犯罪を犯したことでしょうに、と。一市民としては、虫けらのように国同士の利権・覇権・イデオロギーの対立などが外交的に解決ができないという政治的無能の結果起こる武力衝突などに巻き込まれて殺害などされたくはない、と。人々を守るのは、武器や兵力ではないとしか思えない、そして、市民の犠牲は「戦争だったのだからしょうがない」の一言で片付けられてしまうのですか? そして、なによりもこれらの市民の犠牲者たちやそのご遺族、被害者たちやそのご家族を、政治的に利用したり人気取りの道具にしていただきたくないですわ、少なくとも筆者は。

またですかな

2007/03/07


従軍慰安婦について、この国の総理の発言が様々な国で批判されている。…ことを、日本のメディアはなぜか十分伝えていないような気もする。 うにさんのBLOG「壊れる前に」、2007/3/8付けの記事「東南アジアの目、私たちの手」で紹介しておられるように世界中から幼稚だといわれてもしかたがなかろうし、日本は厚顔無恥な、無責任極まりない、都合の悪いことに対してはしらを切りとおす信頼できない民族だと思われかねないという気がする。

ことは、安倍総理がどうやら従軍慰安婦について「(旧日本軍による)強制性を裏付けるものはなかった」という発言をしたことに由来するらしい。そのあと、その強制性という言葉について「狭義の強制性と広義の強制性」と二つに分けて、話がややこしくなったらしい。さらに「政府筋」が「当時は公娼制度もあったし、戦場になっている地域に迷惑をかけないために従軍慰安婦を連れて行ったことは、ほかにはないことをやったのであり、そういう視点からもみてもらえないかと思う」と。

最後の「戦場になっている地域に迷惑を掛けない云々」については、身内の間でしか通用しない身勝手な言い草にしか思えないし、当時日本軍が戦場地域で多数の強姦、殺人などの犯罪行為を行ったことは現地の人々からも、旧日本軍人だった人々からもいくらでも証言があり、ずいぶんあちこちで読んだことがある気がする。

同様な犯罪行為は、21世紀のイラクなどの紛争・戦争地域では現実に今日も起きていることの証言もまた。だからといって、この種の性暴力が許されることではありえないだろうに、と。

話をやや戻す。英語では「従軍慰安婦」は "sex slave(ry)"、「性奴隷」と表現されている。

アメリカ議会において、2007/2/14に、オランダ人「従軍慰安婦」、Jan Ruff O’Herneさんの証言というものがあるのだが、まず、全文を読んでみてくださいませ。難しい英文ではない(と思う)し、知らない単語があっても読み飛ばしても構わないので、現在84歳になられたこの方の、凄惨な当時の日々の証言に耳を傾けてみてくださいな。 どうしても日本語でとおっしゃる方には、全文和訳がありました(→「机の上の空 大沼安史の個人新聞」2007/2/21付け「For the Record〕 「日本人を許す、しかし決して忘れない」「安部首相は公式謝罪を」 オランダ人「従軍慰安婦」、米下院公聴会で証言」)。

彼女が、60年間もウソやでっちあげを信じ込んだり、架空の物語を話しているのではないことが嫌でも伝わってくるでしょうに、少なくとも普通の人間ならば、と。こういう人々の話に真正面から向き合うことができないような人に、この国を「美しい国」にするなどと言っていただきたくありませんわ、少なくとも筆者には。

一度ならずまたもや、彼女たちの、そしてこの国がかつてしでかした過ちの忌まわしい過去について、「なかった」などという妄言を繰り返す御仁にあきれてものが言えなくなってしまったのですよ。更新が滞ったのは様々なことが浮かんでは消えて、言葉に纏めることができなくなってしまいましてね。忙しかったせいもあるのですけれども。

             」 ここ数日間、ものを言う気がしなくなったことについて


「赤ちゃんポスト」ではなく、「こうのとりのゆりかご」というらしい。熊本市の慈恵病院が設置を市保健所に申請した「赤ちゃんポスト」を厚生労働省が容認する見解を示したというのだが、賛成するひとあり、反対意見を持つひとあり。

反対する人々の中には、安易な子育ての放棄が増えるのではないか、と。でも、生後ひと月や二月の首も座らない小さなあかちゃんを殴って死なせたりするような親がいるのも事実のようで、このような事件報道を聞くたびにやりきれない思いをするのはもうたくさんだと。

慈恵病院の院長さんは、かけがえのない命を救うことの方が先だと判断されてのことだという気がする。本来なら、ないほうがいいものなのだろうけれど、あって救われる命がひとつでもあるなら、と「こうのとりのゆりかご」を社会のどこかに置いて、わが子を死なせたり虐待するような類の罪を大人たちから一つでも減らし、せっかく生まれてきた命を大切に育むことができるならば、先に生まれたものとしてあっても悪いものではないものだと思う。「赤ちゃんポスト」を置くことによる効果や成果を期待するのでは決してないけれども。

                    」 以上、2/22に思ったこと。

※ 2/22は「ニャンニャンニャン」で「猫の日」、2/23は2(ふ)2(じ)3(さん)で「富士山の日」なのだそう。

時事通信、2/22付け「赤ちゃんポスト」についての関連記事(全文掲載)

2007/02/22-20:06 「赤ちゃんポスト」設置を容認=熊本市長に見解示す-厚労省
 熊本市の慈恵病院が、育児が困難な親が乳児を託す「赤ちゃんポスト」の設置を市保健所に申請した問題で、厚生労働省は22日、同省を訪れた幸山政史市長に対し「(児童福祉)関係法規に違反しているとまでは言えない」として容認する見解を示した。同市長は病院側とも調整し、設置許可について最終判断する。


昨日12/8は "Remember Pearl Harbor," 日米開戦記念日、日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日)日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を先制攻撃した日。

それに先立ち、1937年(満州事変を起点とする見方によれば1931年)より、中国と「日中戦争」のさなかにあった。

ともに終結したのは1945年8月15日の無条件降伏によってだけれど、この時代、戦争に巻き込まれて生きることを余儀なくされた人々、様々な場面で亡くなった人々がどのように生きたのか、あるいはどんな生であったのかを題材にした作品群は、映画や小説などの形になり今もって次々に生み出されている。けれどもそれら、人々がどんなふうに生き、何を感じ、どんな考えを持っていたのか、どんな生活を送っていたのかだけを見るだけになってしまいがちだという気がする。そういう事態になぜ投げ込まれてしまったのかが見えなくなってしまうのではないだろうか。

「日本は天皇=現人神(「あらひとがみ」と発音する、人の姿をした神)の治める「神国」だから、神風が吹いて戦争には負けることがない」などというたわ言を教育の中で教え込まれた子どもたち(小国民)は、やがて徴兵され、中には(神風)特攻隊員として戦場に散っていったのではなかったのか。海外で "Kamikaze" という言葉は、自爆攻撃をする人の代名詞になっている。

もう一度、考え直してみよう。先の戦争はなぜ起こったのか、勝てるはずのない戦争、周囲の国々に多大な損害を与えてしまう政策を取り、戦争に突入し、その戦争状態を終結まで引っ張っていったのはいったい誰だったのか、誰の責任にすればみんなが納得するのか。

連合国側が一方的にしたという意見のある「東京裁判」を日本は受け入れたことによって、戦争を起こした責任と罪は裁かれたことになってやっと国際社会へ復帰したことも思い出しておく必要があるかも知れない。そして、日本人自身は「総懺悔」したかもしれないものの、自らの手でその責任追及をしてこなかったという意見もあるわけだ。ならば、今もしその責任が誰にあるのかを考えるなら、誰に責任があったのだろう。


時代を経て、憲法改正をたくらむ人々が教育基本法を改正するといい、法案の採決が来週にも行われるかもしれない。改正案の「愛国心」の扱いに絡んで、問題提起や反対の声が引きもきらない感じだけれども、筆者には、次の事項がどうしても気になる。私は、現行の教育基本法を変える必要をまったく感じないし、自民党の改正案は改悪になるとしか思えないことをここに書き留めておく。

現行の「教育基本法」第10条には、教育行政を行う国に責任があると明記してある。が、改正案の該当すると思われる文面には責任の所在が明らかにされていない。何を教えても、どんな教育を行ってもその責任は国にはない、(改正済みの)基本法には書かれていないと言い逃れをされそうな気がする。

こんなに重要な法律の文面まで、はっきりさせず、あいまいなまま、なあなあ、いい加減、玉虫色にするつもりなのだろうか。

(教育行政)

第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

(教育行政)

第16条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。 

2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。 

3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。 

4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

 御参考に

現行の教育基本法→たとえばこちら

改正案→たとえばこちら


12月8日は、ジョン・レノンの命日でもある…かれが亡くなったというニュースは、当日かれのファンだった友人が最初に教えてくれたことを思い出します…1980年の出来事ですから、すでに26年も前のことですわね。 

                             」 以上、12/8 にずっと考えていたこと


イジメによる自殺が連鎖的に多発しているような気がする。いじめられる側の相談に乗るだけで事が解決するものではなさそうだし、責任を誰か大人に擦り付ければ済む問題ではなさそうだし。

肉体的な暴力によって危害を加えれば、当然加害者側は逮捕されたり、罰を受ける対象になる=加害者が悪いことになる。文科大臣宛に「11/11に自殺をすることを証明する」という内容の7通だかの手紙の送った送り主は、はっきりとイジメによる自殺は、いじめる側による殺人だといっていたのに、大人たちはあまりそのことに注目していないのではないのかしら。本当に、いじめられる側が「弱い」からいけない???

危害を加える側、イジメをする側が悪いのではないのですか。いじめる側は、からかい半分でしているだけだと思い込んでいるかもしれない。被害者側がどれほど苦しんでいるのかを思い至ることがないままに。加害者だという意識も希薄なまま、自分たちのストレスを解消したり、あるいは一種の習慣のように一つの(あるいは複数の)いのちを死に追いやってなおのうのうと生活しているようにしか見えない。

イジメは嫌がらせ、嫁いびり、ストーカー行為、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)、パワハラ(パワー・ハラスメント)、家庭内暴力(DV)などと同じ(ような)迷惑行為ではありませんか?ならば、迷惑防止条例違反のような、迷惑行為の対象として取り締まったらどうなのかしらとさえ思ったりするわ。

いじめる側もまた、人間関係を築く上で問題ありという対応を大人(に限らず周囲)はする必要があるのではないのかしら。

話替わって。

教育基本法に関するタウンミーティングのさいに、主催者側に都合のいい質問をしてもらうようにあらかじめ人に頼んでおく「やらせ」が発覚して問題になっている。サクラを用意までして自分たちに有利な世論をでっち上げようとするだけでも実にお粗末だと思うけれども、御丁寧にその「やらせ」を請け負ってくれた人に対して謝礼¥5000を内閣府が予算化していたのだそうな(毎日新聞の関連記事)。地に落ちた振る舞いではありませんか。

で、「実際に支出していたかどうかも含めて、民間有識者を交えて調査委員会で調べる考えを示した」と報道記事にあるのだけれど、おカネをどうしたのかをいい大人が調査委員会などを作らねば事実を把握することができないの???やったかやらなかったのか、担当者に聞けばわかることではないのですか?そんなことにまた税金を使うわけ?無駄遣いし放題だという気がする。

タウン・ミーティングに対して、つまりは政府の言い分ややり方に対して不信感をもたれるばかり。誰も信用しなくなってしまう。私は、タウン・ミーティングに参加してみようとは思わないし、都合のいいように洗脳されたらどうしようという危機感さえ持ってしまったわよ。

そういう人々が教育基本法を改正するとおっしゃるわけね。そして、今日15日、野党が審議拒否するなか、与党の賛成多数で改正案を衆院特別委で可決したのだそうな(関連記事)。

これに続けて下書きしてあった分を一旦削除しました。そのうちに時間があればまとめたいのですが…。


ここ数日間、この「くーろ…」の更新が滞りがちなのは、天気のせい、仕事のせい、家事その他のせいなど、言い訳はいくらでもできますが、うまく記事に纏めることができないいくつかの「気掛かり」がありましてね。
  
テレビや新聞だけ見ていると、レバノンやパレスチナに対するイスラエルの攻撃に関するニュースがあまりにも少なすぎるのではないのかしら、ネット上の各国の報道サイトを見ていると、日本のサイトより、レバノンやパレスチナ情勢ははるかに大きく、詳しく扱われているという気がします。
 
あちこちの時事関係の記事の多いブログなどでは取り上げられている、レバノン人が戦火を避けて非難する途中に、イスラエルの空軍による爆撃を受けて犠牲者が出たという戦争犯罪ともいえそうな事件が、英・インディペンデント紙に出た、ロバート・フィスク記者の記事の訳などを掲載しているサイト(一部を引用、ここから~)
タイルの村民に、イスラエルは退去を指示した。そして村人達が従順に車やミニバスで北へ向かったところ、イスラエル空軍は、そのミニバス後部にミサイルを撃ち込んだ。3名が死亡、13名が重傷を負った。  (~ここまで)
にあるのですが、どうやら日本のマスコミはどこもこの事件を扱っていないようです。御覧になられた方はおられますでしょうか?
 
7/23(日)には、「シカゴとロンドンでイスラエルへの抗議」デモがあったなどという報道も、あまり見かけないような気がします。上の文字列をクリックすると、デモの様子の画像がたくさん掲載されているブログ "P-navi info" の記事へ。日本でも同様のデモがあったという報道はあまり見かけませんでした。
 
イラクで米軍が使ったとされ、問題になっている「苦痛に転げまわり、あるいは人が炸裂して吹き飛び、縮んで変形する新型兵器」(のことを説明した米専門家に対するインタヴュー記事の翻訳が "TUP-Bulletin" に)と同じものが、パレスチナでもイスラエル軍によって使われたのではないかという疑いを指摘するサイトも。
 
"Phosphorus Weapons were used in Leanon CNN Video"をクリックすると、レバノンで使用された「新型兵器」が、イラクで米軍が使ったといわれている化学兵器の「白リン弾」と同じものではないか、と推測する医師のビデオクリップへ飛びます。無残に焼かれた幼い被害者の顔の映像が出てきますので、ご覧になるかどうかは各自ご判断下さい。
 
イスラエルの側に、あるいはヒズボラなどのかかえる「テロリスト組織」にどんな言い分や正当性、あるいは正義があろうと、どちらの側に対しても、双方の普通の人々や子どもたちを巻き込み、生活や生命を奪うことを即刻止めることを求めるものです。
 
関連の書名サイトをいくつか挙げてみます。犠牲者や被害の大きいレバノンから、イスラエルが撤退するという主張をかかげたものが多くなってしまっているかもしれません。

※ Save the Lebanese Civilians Petition

  (設置以来10日間で186000以上の署名が。表示に時間がかかるかも。)

※ End This Punishment of Palestinians