小学校の部活動で音楽部に属していた筆者、自分の学年だったか、一つ上の学年だったのかよく憶えておりませぬが、三学期になり6年生が卒業間近になった頃に顧問の先生から習った歌を突然思い出しまして。タイトルを失念しておりますが:

天津三津海(という地名がどこかにあるのかと)の 言葉さながら 声もひそやかに 希望ささやく

愛(?)は四方にこの(「め」は誤植、と) 荒らした(何を?)けれど 

明日日は昇り 風も和まん

希望の甘き言葉 (二文字の記憶がありませぬ)にも 幸は巡る

当時、文語体の歌詞は子どもだった筆者たちにはまるでちんぷんかんぷんで、貧弱な国語力で精一杯に想像力をふくらませた結果、上のような何とも珍妙な歌を作ってしまったようですわ。

この歌、いうまでもなく「希望のささやき(緒園凉子作詞・Aホーソン作曲)」ですわね、正しくは:

天つみ使いの 言葉さながら  声もひそやかに 希望ささやく
闇黒(やみ)は四方にこめ 嵐猛けれど
 晨(明朝) 陽は昇り 風も和まん
希望の美(あま)き言葉 憂愁(うき)にも 幸はひそむ

オリジナルは “Whispering Hope” Alice Hawthorne作詞で、最初の部分は:

Whispering Hope by Alice Hawthorne

Soft as the voice of an Angel,
Breathing a lesson unheard,
Hope with a gentle persuasion
Whispers her comforting word:

Wait till the darkness is over,
Wait till the tempest is done,
Hope for the sunshine tomorrow,
After the shower is gone.

Whispering hope,
oh how welcome thy voice,
Making my heart
in its sorrow rejoice. …

当時の顧問の先生は、こんな難しい歌詞の歌をなぜ卒業を控えた、あるいは進級間近かの子どもたちに歌わせようとしたのかしらん。

大人になって歌詞の意味がわかるようになったときに、くじけそうになったときにこの歌を歌った当時のことを思い出し、何かの力や糧になれば、という願いを込めてくださったのか、あるいはこの歌がお好きだったのか、今となっては訊ねてみることもできませぬが。

話変わって。

二、三日前から色づき始めていたイチゴがようやく真っ赤になり、今年の初物をいただきましたわ。

当地、今日は湿度が低く乾燥注意報が出るような一日で、「趣味の菜園」の地割れはひどくなる一方ですし、今朝は最低気温が 5度Cまで下がり、明け方には思わずコタツの電源を入れまして、ひと月ぐらい季節が後戻りをしたようなもので、もう少し下がれば遅霜が降りたかも。朝起きてすぐに「菜園」の様子を見に行きましたが、夏野菜の苗はすべて持ちこたえてくれておりまして。

それでもいつの間にかタニウツギの花が咲いたり、ヒナゲシの花が咲いたり。もう少し我が家の「農繁期」が続きそうですわ。

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コーヒーの入れ方の続き。ずいぶん引っ張るのねぇ、なんて。だから、別の日の記事にしないことにしまして。五月に入ってから、一日分の記事が抜けておりますものね。必ずしも毎日の更新を日課にしているわけではないのですけれど、何となく気になっていたりしまして。

大昔、筆者の実家にはそういえばサイフォン式のコーヒー・メーカーがありました。毎週日曜日の午前10時ごろになると、母は食器棚の角に正座させているサイフォンを取り出して、家族全員が毎週楽しみにしていた番組を見ている居間のソファーのテーブルの上で、まるで儀式のように、アルコール・ランプに火をつけてコーヒーを点てにかかるのでした。

フラスコのような形の二つのガラス製の…さて、何といったらいいのでしょうか…上部には、今考えるとネルの布フィルターを挟んでネジ式に止め、細い鎖を引っ張って漏斗状のガラスの管の下に金属の掛け金を引っ掛けて止め、確かサイフォン式専用に細かく挽いたコーヒーの粉を入れておくのでしたかしらん。

何より、アルコール・ランプに火をつけたり消したりするのが、算数・数学はまったく苦手だったのに理科が何より好きだった筆者にはワクワクするひと時でございました。かなり遅くまで、筆者は紅茶の方が好きで、あまりコーヒーを飲みたいとは思いませんでしたが。

下のガラス製フラスコのお湯が沸騰したところで一旦火を外し、上に漏斗を取り付けて蓋をして再び火をフラスコの下に戻すとお湯が上に登り始め、少しそのままボコボコさせたあとで火を再び外すと、一呼吸おいて、上に上がったお湯はコーヒーになって下りて来る…コーヒーの粉は、途中に挟まれているフィルターで漉されて上の漏斗の中に残る、というのは、なかなか不思議な見世物ですわね。

何年か、母はかなり気を入れて日曜の午前中にサイフォン式コーヒーを点てる習慣を続けていましたが、いつだったか漏斗が割れたことがあり、部品を買い求めてその後もしばらくの間、コーヒーの習慣は続いたのでしたが、そのうちに何か部品に不具合が出て(?)、いつの間にかペーパーフィルターを使ったドリップ式、そのうちにはインスタント・コーヒーをお湯に溶かすだけになってしまったような。

一応は原形をとどめていたはずのサイフォン一式は、その後は食器棚の角にいつまでも正座させられたまま、単なる飾りになってしまっていたような。なぜ、あれまで一生懸命に入れていた習慣を止めてしまったものか、と。あるいは、単に面倒になっただけだったかもしれませぬ。

サイフォン式コーヒーの正しい点て方については、たとえば自家焙煎・深炒り珈琲「ブルーマウンテン」さんの「珈琲教室」などを。

※ 筆者のうろ覚えで書きましたら、途中、スプーンなどで上のフラスコ内をかき混ぜるというワン・シーンを忘れているようですわね。


今日4/8は、潅仏会(かんぶつえ)、お釈迦さま・ゴータマ・シッダールタの誕生日。統一地方選の投票日。

釈尊が生まれると、天と地を左右の手で指差しながら「天上天下唯我独尊」とおっしゃったとか、天から甘露の雨が降ったなどという伝説があるのと同時に、ものを作ったりするときに、出来損ないができるとなぜ「オシャカ「というのでしょう、ということについて、筆者の亡父はあるときこんなことを申しておりました。

曰く、「○○を作っているときに、火加減が難しくて火が強すぎると出来損ないになってしまった。関東地方では、『ひ』と『し』の発音が混同されがちで、『ひがつよかった』が『シガツヨカッタ』と言われたり聞こえたり。『シガツヨカ』が『四月八日』と音が似ているというので、出来損ないのことを『オシャカ』というのだ」と。

この話は本当かしらん。それにしても、火加減が強いとうまくできないものを作っている職業とはいったい何かしらん、と。亡父はそのあたりも話してくれたのかもしれないけれど、記憶にございませぬ。思い出したときに調べてみようと、Wikipediaに相談してみましたところ、確かにそういうような話があるようですわね。

Wikipediaの4/8の項によれば、火加減が強いとダメになるものを作っていたのは鍛冶職人だったと。ただし、説明はこんな風になっております:

江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで「しがつよかった(火が強かった)」=「四月八日だ」=釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。


「正月ケーキ」と称して、暮れのうちにドライ・フルーツなどを焼きこんだフルーツ・ケーキを焼き、お正月に食べる話を毎年書いておりますわね。大雑把なレシピはこちらをご覧いただくといたしまして、バター・ケーキの一種であるこのケーキは、いただいたコメントにも書きましたとおりひと手間もふた手間も余計にかかる面倒なもの。なぜこんなものを毎年焼くことになったかについて、こんな風に書きましたわね:

ただただ私にはモッタイナイが染み付いているのと、食い意地がはっているのとで…そのうちに記事にでもしてみようかしらん、などと。

このケーキのレシピは、"nonnno" が大昔に出した西洋菓子の本『ケーキ・ブック(なんとS.58年刊!)』に出ていたものです。何となくレシピを見ているうちに、何て面倒な、これはきっと一度も作らずに終わるだろうなぁ、などと思っていたものでしたわ。けれども、そこに出ていた写真には実に素敵なケーキが写っていまして、誰かが作ってくれたら食べてみたい、とは思っておりました。食い意地の張った筆者のことですもの。

それとはまったく別の話で。

晩柑類…イヨカン、ハッサク、甘夏など…の皮を、そのまま捨ててしまうのはいかにもモッタイナイと、何か利用法はないかしらんと。マーマレードに加工すれば食べられることがわかったものの、そのマーマレードを手作りしようとすると、いつか拙稿「マーマレードのジレンマ」にも書いたとおり簡単に作ろうとするととろみが足りないし、とろみをつけようとするとなかなか手間がかかるジレンマを解決しなくては、と。

それでも、何度となく繰り返してマーマレードを作るうち、ピールも作ってみようということに。どこかでレシピを見つけたか、実物を見かけたかしたのでしょうか。

マーマレードやジャムは、我が家の朝食で(手作りの)ヨーグルトに果物とともに添えて毎日いただくので、毎日少しずつですが必ずといっていいほど食べるものですからいくらあっても邪魔にはなりませんが、ピール(ドライ・フルーツですわね)の方はというと、食べないわけではないけれども、やはり甘いものですから、パンに焼きこんだり、手作りのお菓子を作る際に使ったりぐらいであまりなくなっていきませんわ。冷凍庫に入れても、凍らないで軟らかいまま。それでもいくら冷凍保存してあるといっても、何年も放っておくわけにはまいりませぬ。

ピールがあることと、あの、ピールをも使った七面倒なケーキがいつしか頭の中で結び合い、「いっちょ、やったるでぇ」と相成りまして。

作ってみようとしたのはいいけれど、普通のバター・ケーキのように、バターを練り、砂糖をすり混ぜ、たまごを割り入れて混ぜ、ふるった粉を混ぜて型に入れて焼く、というわけにはいきませぬ。まず、ドライ・フルーツをラム酒やブランデーに漬けておき、カラメルを作って混ぜ、たまごは卵黄を生地に先に混ぜ、卵白を別に泡立てて粉と交互に混ぜなどと、ふた手間ぐらいは余計にかかります。1時間半ほど低めの温度で焼き、焼き立てのうちに型から抜いてラム酒などをかけ、冷めたらラップ材で密封して一週間ほどは寝かせる、というのです。始めて作ってみたとき、焼き上げたケーキを包んでしまい終えたときには疲れ果てましたわ。

一週間ほど置いてからいよいよナイフを入れてみたら、確か中に焼きこんだドライ・フルーツやナッツ類が下に沈んでいたのではなかったかしらん。生地の混ぜ方がよくなかったか、扱い方がよくなかったか、とにかく次に作るときに向けての宿題を抱え込んだのでした。

そんな、こんなと、色々な失敗や改良点を次に焼くときに持ち越しながら、一年に一度ぐらい、こんな面倒なものを作ってもいいかもしれないと。すでに10回以上焼いておりますが、お蔭さまで最近はほとんど分量を含めて元のレシピを見なくても焼けるようになってきた気がしておりますわ。

 


梅干を漬ける話に頂いたコメントを読んでいるうちに、フランスの元植民地だったある国で仕事をしながら住んでいたときのことを思い出しました。
 
日本にはあまり入っていないかもしれませんが、この国はオリーヴ油や、実の塩漬けを瓶詰めなどにした製品を今も輸出しています。植民地時代に植えられた広大な面積のオリーヴ園が国のあちらこちらに広がっています。オリーヴの木は、縦・横・斜めに見事に並んで見渡す限り広がり、砂漠から吹いてくる細かい砂を含んだ熱風にあおられながら、秋にはたくさんの実をもたらしてくれるようです。
 
秋の収穫期には、何種類もの実が木箱に入れられて市場に並び、緑や、黒や、大きな実や小ぶりのものなどのうちから、家により、人により、好みによってなのでしょうが思い思いに選ぶ人々がいました。彼ら・彼女らの姿を見て、異国の私は、ちょうど日本の梅の季節のようだと思いました。日本の梅にも、熟し加減や、大きさや、産地や、品種など様々な梅が店頭に並んだなかから好みのものを選んで求め、家により、人により様々な漬け方で梅干しや梅酒が作られ楽しまれていることが思い出されまして。
 
実家がオリーヴ園を持っているのだったか、オリーヴ産業に携わっているのだったか忘れましたが、現地の方に、オリーヴの塩漬けの作り方を教わりました。
曰く
  1. 水の中に、オリーヴの実を一つ入れておく
  2. 水に塩を加えて溶かしていき、塩水の比重が増して
  3. 沈んでいるオリーヴの実が浮いたら、必要な塩分濃度になっているので
  4. 用意したオリーヴの実を入れ、液の中に実が漬かっているように落し蓋をする
  5. 食べる前に、水に浸して好みの味になるまで塩抜きをする

というものだったと記憶しています。その場にいたほかの方は、自分の家ではちがう漬け方をする云々と説明して下さいましたが、まるで「我が家の梅干しは、かくかくしかじかに漬けて」と披露し合う手前味噌の日本人みたい、と、おもしろく聞いたことを懐かしく思い出します。

 

自前の塩漬けオリーヴができる!となれば、素材は季節にはいくらでも手に入ったので、さっそく漬けてみました。初めてにしてはまあまあ上手くできたようで、その後しばらくの楽しみになりました。
 
今考えると、塩分濃度を調節した漬け汁を一度沸騰させて冷ましてからオリーヴの実を入れたほうがよかったかしら、などとも思いますが。日本で生の実を手に入れようとすると、唯一小豆島で国産のオリーヴが栽培されているのだそうです。
 
現地の人々は大家族で暮らしていることもあり、季節になると時には何種類もの実を大量に買い込んで一年分(?)漬けるのを大変でもあり、楽しみにしているようでもありました。私が市場の売り子さんに「これとこれを一キロずつ」と頼むと、目をむいて「たった一キロずつ?そんなに少しばかり、どうするんだ?!」とでも云いたそうな顔をしていましたっけ。
 
産地ですから、普通はオリーヴは黒と緑の二色だけれど、この国には緑と黒と紫の三色のオリーヴがある、と自慢していました。
 
当時の思い出に、というわけでもないのですが、帰国後愛知県にいたころに手に入れた鉢植えのオリーヴの木が二鉢我が家にはあります。当時は、こんなに寒い地方に引っ越してくるとは思いませんでしたので、実のなるように二品種求めたのでした。果樹によくあるように、オリーヴも「他花受粉性…他の品種の木の花粉がつかないと実がならない性質」なのですね。
 
関東以西の太平洋側などの暖地ならば、地植えにして実の収穫もある程度はできるようですが、当地では屋内に入れないと冬越しができそうにないので、鉢植えのまま。適地に植えればかなりの巨木に育つ可能性を持っているのに、いささか可愛そうな気がしますが現状では仕方がない、と。
 
画像は、今年の我が家のオリーヴの若枝。

昨日の続き

2005/09/22


で、このような状況が生まれたということと、選挙結果の与党側の大勝、また、実際の得票数が与野党でさほどの差がなかったにもかかわらず小選挙区制という選挙制度のなせる業だった云々ということとは、とりあえずは分けて考えたい。(獲得した議席数;与党側が2/3イコール民意ではなく、あくまでも議席数を民意と言うとしたら、すり替えだと言わざるを得ないだろうに。)
 
なぜ、あのような選挙結果が出たのかではなく、国の指導者の大きな肖像画が町の目立つところに掲げてあるような国に存在するような状況が、いとも簡単にこの国でも生まれうるということ、その中に暮らさざるを得ないかもしれない私たちは、どうしたらいいのかを自覚的にわきまえている必要があるかもしれない、ということ。
 
 
その国の人々の生活は、貧困層がないわけではないけれども、大多数は贅沢ではないかもしれないが一応の暮らしを立てているように見えた。日常生活や、私のような外国人の目に映った街の様子などは、平和な、日本と大差ないように見えたものだった。ものは市場や商店にかなり豊富に出回っていたし、外国からの輸入品もかなり大量に流通していたし、外国人が大群をなしてリゾートに訪れていたし、治安はよく、夜中に女性の一人歩きも出来た。
 
期間中、帰ってもいいよ、と言われれば帰国したにちがいないが、そのままいてもいいよ、と言われればもうしばらくいてもいいかもしれない、と思うぐらいの快適さは充分あったと思う。


筆者が、とある国にしばらく住み着くことになったときのこと。事前に、その国は前の大統領を無血クーデターで倒した大統領の、一党独裁の国だということは聞いていた。今は複数政党制に移行しているが、当時の大統領は今も現職にある。出かけた先はそういう国だった。

 
とりあえず落ち着く先が決まり、身の回りの整理がつき、街へ出てみた。キオスクに並んでいる新聞の見出しを何気なく見ると、その国の「大統領がどこそこへ行き、何と言った」という内容の記事が一面のトップに出ていた。ああ、そうなのか、とそのときは何も考えずに帰った。

 
次か、その次の日にまた街へ出かけた。キオスクに並んだ新聞を何気なく見ると、またしても「大統領が何をして、何と言った」という記事が一面のトップに掲載されていて目についた。あら、と思ってよく見ると、海外の新聞(外国の新聞社の国際版)には全然別の記事が掲載されていたし、特別にその国の大統領が何をしたということではなかったようだ、と思ったとたんに、独裁制というのはこういうものか、と思った。同時に、日本にいるときのようではなくて、体制批判と取られるような言動は、たとえ外国人でも慎んだ方がよさそうだ、などとも考えた。

 

その国のテレビの報道番組も新聞と同じようで、ニュースのトップか二番目あたりに、大統領の映像とともに政治だけでなく、ゴシップのようなものまで流していたような気がする。お茶目な大統領という印象を与えるような。

 

日本の隣の、二つに分かれた片方の国は、こんな風なのかもしれない、とそのとき考えたことも思い出す。

 

常に、独裁者というものは、自分の姿や言動を、毎日何らかの目立つ形で民衆に示すことでその存在を刷り込み、身近に感じさせ、親しみを持たせ、言うことに耳を傾けさせ、つまりは洗脳して服従させていくのだ、と思い当たったというわけ。筆者に関して言えば、貴重な体験をさせてもらったし、こういう「大衆操作」に飲み込まれないための免疫ができたような気がする。

 

 
さて、ここで、今回の衆院選の告示前、8月30日前の日々のことを思い出してみる。参議院で郵政関連法案が否決されて、衆議院の解散総選挙が決まる前からだったかもしれないが、常に総理の「郵政民営化」「改革」などの言葉はニュースのトップで扱われた。総理大臣の発言にニュース・ヴァリューがあるのは当然だから、テレビ、ラジオ、新聞などを問わず、常に総理の言葉を映像や画像とともにニュースのトップに近い位置で流していた。衆院選が決まってから告示までのあいだ、報道が自由なときには、「九の一刺客」などのお馴染みになってしまった「小泉劇場」の「役者」たちがニュースばかりか、ワイド・ショーでも面白おかしく繰り返され、大騒ぎしていた。野党側の声はほとんど聞こえてこないような一方的な報道だったかもしれない。ということは、常に同じ与党側の言い分ばかりがマジメな番組でも不真面目なレベル(失礼!)でも繰り返されていた。ふざけた言葉遣いをマスコミは批判精神もないままに拡声器のように繰り返していた。

 

誰かが独裁者だと言いたいのではなくて、あたかも独裁体制の国で行われているような、プロパガンダが満ち満ちている状態に非常によく似通っていた、ということが言ってみたいわけね。誰かが仕組んだのか、それとも単に視聴率を上げる(売れる)ことを考えていたらあのようになったのかはとりあえずは問わないことにしても。(これが果たして仕組まれたものかどうかについては、ネット上には誰かの書いたものをそのままコピーしたものも含め、種々雑多な情報があふれている。かなり大掛かりで、恐るべき情報操作が行われた、という見方がかなりあるようだ。)

 

ここで。今回の選挙について、小泉派の方も反小泉派の方も、与党に投票した方も、野党側に投票した方も、あるいは選挙に行かなかった方も、あの時期に、ひょっとしてこのようなマスコミが作り出した、あるいはそういう状態になってしまった事態の真っ只中にいて、洗脳・大衆操作・マインドコントロールという言葉か、あるいは息苦しさのようなものを少しでも感じなかった方は、ご自身が暗示にかかりやすく、扇動されやすいかもしれないことを疑ってみる必要があるかもしれないよ。ある方向に一気になだれ込むうねりに飲み込まれやすいかもしれないよ。

 

独裁制というものは、露骨であるかないかを問わず、望ましいものではなさそうだよ。しばらく暮らしていたその国でも、普通に暮らしていた人がいきなり拘束されて行方不明になり、釈放されたときには気が狂っていた、などという話がまことしやかにささやかれていた。気に入らない人間を捕まえたり、はずかしめたり、殺したりしても罪に問われない、そういう権力者がいるという社会のありようというのは、普通の市民にとって有難いもののはずがないよね。
 

(… ouf, 何とか今日中にエントリーできたみたいね。)